Top向学新聞>日本も世界も共に生きる
向学新聞2021年4月号目次>日本も世界も共に生きる

向学新聞2021年4月1日号記事より>

日本も世界も共に生きる


酒井教授エッセー 第3回

酒井教授

< 酒井順一郎 略歴 >
総合研究大学院大学文化科学研究科修了、博士(学術)
国際日本文化研究センター共同研究員、東北師範大学赴日本国留学生予備学校、長崎外国語大学を経て、現在、九州産業大学国際文化学部教授
主要著書:『清国人日本留学生の言語文化接触-相互誤解の日中教育文化交流-』(ひつじ書房、2010年)、『改革開放の申し子たち-そこに日本式教育があった-』(冬至書房、2012年)、『日本語を学ぶ中国八路軍-我ガ軍ハ日本下士兵ヲ殺害セズ-』(ひつじ書房、2020年)


バックパッカーの学生から教えられたこと
‐大自然の一員として生と死を意識する重要性‐


 今回はエッセー第3回目。東南アジアの国々を転々とし、タイの農場で自然と命の繋がりを見出した教え子の澤田氏について語って頂いた。現地の方々との深い交流から教えられることがある。澤田氏からも世界を知って日本を知ったというコメントを頂いた。


 皆さん、お元気でしょうか?一時の感染者数急増のコロナ禍が収まってきました。この新聞がお手元に届く頃は緊急事態宣言が全面的に解除されることを祈るばかりです。

 さて、このコロナ、彼らも大自然の一部ですので、容易に絶滅させることは難しいですね。感染症と自然破壊の関連も指摘されており、コロナの流行は大自然からの警告であると論じている学者もいます。人間もコロナも大自然の一員ですからどう付き合っていけばいいのか考える方がいいのではないでしょうか。そんなこんなで、今回はあるバックパッカーの学生から教えられたことをお話したいと思います。

 実はこの若者、私のゼミ生(今年3月卒業)である澤田大嗣君です。彼は日頃からなぜ生まれてきたのか、なぜ人は死ぬのか、なぜこの世は不条理に満ちているのかを考える悩み多き青年です。私のように、爆音でロックを聞けばOKというような単細胞ではありません。

 ある時、虚ろな目をした彼が「師匠、この国の閉塞感はいつまで続くのでしょうか?」と聞いてきました。私は「それは君の心の中を表しているんだよ。内に掘り下げるのは悪くないが、言葉も食事も生活習慣も全く違った人たち、つまり外のことも見る必要もあると思うよ。」と答えました。澤田君、翌日には「師匠、暫くお暇をください。」と言うや否や、八百屋のバイトで貯めた全財産を持ち、Go To EATではなく、GO TO東南アジア! 

Thailand farm 1

 農場主からの学び

Thailand farm 2

 農作業を通して自然を体感

Thailand farm 3

 瞑想

 シンガポール、マレーシア、タイ、ラオス、ベトナム、インドネシア等と、安ホテルを転々としながら世界中の旅人から情報を入手する日々の中、タイに面白い農場があると教えてもらい、一路タイへ。
 
 ようやく辿り着き、そこで働かせてくれないかと直談判、元僧侶の農場主は静かに頷き、1ヶ月間住み込みで農業をやることになりました。
 そこには世界中から若者が来ており、日の出とともに起床し、まずは瞑想。その後朝食を取り、農作業。午後は、昼食後、自由時間があり、その後はまた農作業。夕食後は、瞑想し仏教について学び、就寝という生活。もちろん文明の利器とは無縁の世界。食事は全てオーガニックの手作りです。
 農業は厳しい肉体労働ですが、ここでは自分のペースで自然に働くよう指導されます。労働は瞑想と同じという考えで、労働をしながら自然に自分を見つめ直すことができるそうです。農場主の方は常日頃から「呼吸することを含め全ての行動を丁寧にし、観察しなさい。この瞬間と全てのものとの繋がりを感じなさい。」、「完璧のものはない。全てを受け入れなさい。」と微笑みながら語りかけてくれます。そんな澤田君、土の中にいる虫たちの身体を張った営みを見て永遠に続く「いのちの循環」を感じ、自分も彼らも大自然の一員だと悟ったそうです。

 澤田君は現地の人々から結婚式や葬儀に招待されるほど親しい関係を構築しました。彼が経験した葬儀は悲しみを演出する儀式ではなく、死は寂しいが、仕方がない、それよりも派手に見送り来世でがんばってもらおうという前向きなものだったといいます。彼は死が自然なことであり、再生の一歩であると確信したそうです。日本語でも「息を引き取る」という表現があります。「引き取る」は「手元に受け取る」「元に戻る」「引き継ぐ」という意味です。本来、私たち日本人も、死は元にあった場所に戻り、後の世に引き繋がられていく、死をむやみに恐れることはなかったはずです。

 彼が出会った現地老人達は大自然の息吹を感じるがごとく日々淡々と生活し、まるで、不便さや非効率を愉快に楽しみながら老い先短い時間を過ごしています。たとえ体が動かなくなっても、心乱さずそれを受け入れて、最期を迎えていきます。そこには延命治療もありません。生と死は決して断絶していないと考えているのでしょう。私たちは近代以降、死に対し背を向け、経済成長を信じ、生が永遠に続くかのように装ってきました。しかし、誰もが、老い、足腰が立たなくなります。中には認知症になり、街を徘徊し、やがて家族の手に負えなくなり施設に閉じ込められてしまうこともあります。そして寝たきりになり延命治療を施され死なせてはもらえません。澤田君の出会った老人達から教えられることは多いのではないでしょうか。

 帰国した澤田君、強い自信と何か使命感らしきものを持っていると感じました。それから、老人介護施設に就職し、4年の夏から働いております。彼は微笑みながらこう言いました。「おそらく僕は介護施設では何もできないでしょう。でも、利用者さんが、旅立つまでの時間を孤独だと感じることなく手を握り、静かに寄り添いたいんです。そしていつか自分の理想とする介護施設を創りたいんです。そう皆、大自然の一員だから。」。

 気付いたら私は「静かに眠るが如く」と願いながら西行の「願わくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ」と呟いていました。
 澤田君、ありがとう。

澤田氏コメント

 この度は、ありがとうございます。東南アジアを回った時、自然の大切さ、数字に振り回される愚かさ、生と死とは何かを考えさせられる日々でした。現地の人々、世界中の人々と交流することで座学では学べない多くのことを修めることができました。これは私にとって貴重な財産です。背中を押していただいた師匠に感謝しております。

 現在、介護施設で働く傍ら、師匠の勧めもあり在日外国人の方々の日本語教室でボランティア活動もしています。日本語と日本文化を外国人の方々に理解していただくことは難しいことです。しかし、海外経験によって日本を相対化して考える習慣がつきましたので新たな日本を発見する毎日です。日本を知るということは実は世界を知る必要があります。コロナ収束後、是非皆さんも海外へ行ってみてはいかがでしょうか。きっと何かを得ることができると思います。では、皆様のお幸せをお祈りします。

エッセー 第1回 コロナ禍が生んだ漢字アートブーム in ホーチミン
エッセー 第2回 台湾球児から学ぶもの 人は変われる、仲間がいる
エッセー 第3回 あるバックパッカーの学生から教えられたこと 大自然の一員として
エッセー 第4回 ウラジオストクのジーマ君との約束



記事へのご意見・ご感想


a:1771 t:1 y:0