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元留学生

向学新聞2025年1月記事より>

日本で働く元留学生たち
趙文搏 さん
(中国出身)
日本アイ・ビー・エム株式会社
面接は笑顔で  就活を通じて成長

留学生活について

―日本に留学しようと思った時のことを教えてください。

 叔父の影響が大きいです。叔父は仕事で日本に来て、日本人と結婚し、東京に住んでいます。中国に帰国するたびに、日本の食べ物やお土産をくれて、日本の話もしてくれました。叔父は「日本はいい国だよ、日本人も優しい人が多いからぜひ日本で生活してみてほしい」と話していたので、私も双子の姉も日本が好きになり、留学してみようと思いました。

―初めての日本での留学生活はいかがでしたか。

京都の日本語学校に通いました。私の通った高校と日本語学校が提携していたので、日本語コースのメンバーは全員同じ日本語学校に入学しました。アパートもみんなと同じ建物だったので、不安は少なかったです。日本語学校で半年間勉強をして、大学に合格したので金沢大学に進学しました。自分の学びたい学部があり、国立大学で、学費も安いことがあり志望しました。

趙文搏
2017年来日、日本語学校、金沢大学人間社会学域国際学類卒、神戸大学大学院国際協力研究科卒。2024年4月から現職。

―一人で初めての土地での留学生活が始まったのですね。

双子の姉や、一緒に日本に来たクラスメイトとも進路が分かれ、本当に独りぼっちで新生活がスタートしました。国際学類で留学生は私一人でした。また、大学では、同じ地元の高校から進学してきた学生も多く、入学の時点で友達やグループができている学生も多かったので、余計に自分は一人だという孤独感を感じ、すごく寂しくて落ち込みました。休学しようかと考えたこともありました。

しかし、ある時、同じ大学の寮に住んでいて同じ授業もとっている、日本人の学生のFちゃんが「一緒に行こう!」と声をかけてくれました。そして私の親友になってくれました。寮では、交流のためのイベントが何度かあり、積極的に参加して、徐々に友達も増えていき、そこから私の金沢生活はとても楽しくなりました。金沢はとても良いところです。住むことも観光もおすすめします。

留学生活では、大学のサポートは充実していたと感じますが、学内の寮は2年間だけしか住めなかったため、学外の石川県留学生交流会館という学生会館に住みました。できれば学内の寮にずっと住みたかったです。

就職活動について

―金沢大学卒業後、神戸大学大学院に進学されましたね。進学して間もなく就職活動の時期がきましたが、就職活動はいかがでしたか。

とても大変でした。しかし、今思えば、自分が成長した期間でもありました。
私は院1年の後半、1月ころから就職活動を始めました。最初はメーカーの総合職や海外営業、IT業界など広めの範囲で企業を探して応募していました。そのうち、IT業界に絞って就活を進めました。

―語学力を活かしたり、海外と日本を行き来できる海外営業の仕事を希望する文系留学生は多いです。なぜIT業界に絞り込んだのですか。

いろいろな会社の説明会に参加してみて、海外営業の求人は少なく、総合職という職種では入社後どのような職種に就くかが分かりません。また、アルバイトでの経験で、IT業界はこれからの社会にとっても重要な分野だと感じたからです。さらに、日本の新卒の就職活動では、文系学生でもIT業界で活躍できるチャンスがあり魅力だと感じました。

―IT業界を目指すきっかけにもなったアルバイトの経験とはどんなご経験ですか?

金沢大学時代に、金沢21世紀美術館でアルバイトをしていました。有名なプールの作品など、ステキな作品がたくさんあり、観光スポットにもなっていて、毎年200万人が訪れる美術館です。しかし、当時は頻繁に行列が発生して、3時間待ちになることもありました。「全然21世紀じゃない」というお客様からのクレームもありました。そこで、美術館では、IT技術を導入して、事前予約や待ち時間検索ができる仕組みを作りました。これによって、待ち時間を大幅に減らすことができ、スタッフも本来の業務に集中できるようになりました。このことを通して、「観光」の視点だけでは革新ができない、テクノロジー技術の導入によって、様々な分野の課題解決の道がひらかれるのだなと、感じました。

―なるほど。実体験を通して感じたことは、志望動機を伝える際にもとても説得力がありますね。
就職活動で一番大変だったことはどのような点ですか。

エントリーシートの通過率は高かったです。サポートして下さった谷口先生のアドバイスのお陰です。またN1を取得していたことも大きかったと思います。面接には進むのですが、一次面接で落ちてしまうことが続きました。何社も何社も受けていくうちに、今度は一次面接は通過できるようになって、しかし二次面接、最終面接で落ちてしまうことが続きました。なかなか内定をもらうことができずに、この時は本当に落ち込みました。自分を必要とする会社はない、自分には無理なのかもしれない、もう帰国しようか、ということも考えました。日本の企業の多くは、面接の不合格の結果しか教えてくれません。評価として、どこは良かったけど、どこが不足だったのかが分からず、ただ、「不合格」ということが突きつけられます。

そこで、面接の質問内容と、それに対して自分が答えた内容を忘れないうちにすぐに記録をして、谷口先生にチェックしてもらいました。そこで一緒に振り返りながら、この答えは良くなかった、ここは良かった、と客観的に整理されました。そうすると、次にやるべき改善内容が明確になり、立ち止まらずにまた次の会社に応募しようと、気持ちが前に向きました。そして、最後の最後で今の会社から内定をもらえました。院2年の4月末頃でした。

―面接では、どのような事を大切にしていましたか。

趙文搏

まずは、笑顔です。笑顔でこたえられるように意識していました。

次に、「面接官は敵ではない」という気持ちです。面接官は、もし入社できたら、一緒に仕事をする仲間になる方だ、と思うようにすると、緊張感よりも親しみをもった気持ちで臨めます。面接官の中には、無表情だったり怖い表情をしている方もいましたが、相手がどのような方でも、私は笑顔で、将来の仲間と話すような気持ちで話せるように心がけていました。

具体的な準備の内容としては、ガクチカは3つくらいのエピソードを準備して、会社ごとに志望理由を丁寧に考えました。同じ業界でもたくさんの企業がある中で、「なぜこの会社を志望するのか」を、言葉で伝える必要があります。ウェブサイトをよく見たり、説明会のメモを見ながら、その会社オリジナルの強みやキーワードを見つけたり、具体的なプロジェクト例をみてどの分野に強いか、逆質問で聞いてみたい内容や、志望動機につながる内容をピックアップしました。

内定を取るまでは、就職活動はとても大変でしたが、振り返ってみると、自分が成長したし、社会について理解を深められた期間であり、プロセスだったと感じます。

社会人になって

―入社して1年が経ちました。大変な事、やりがいを感じたことはどのような事ですか。
 
入社後最初の数カ月は、システムの内容や専門用語がたくさん出てきて、覚えるのがとても大変でした。IT系専攻の人とは、やはり基礎知識が違うので、努力が必要でした。新人には先輩がついてくれますし、新人向けの勉強会も合ったので、焦る気持ちもありましたが、学びながら慣れていくことができました。

私が初めて携わったプロジェクトで、顧客企業のチラシにそのシステムの事が載っていて、「私が参加したプロジェクトだ!」と嬉しくなりました。自分の仕事が、具体的に人の役に立っているということがやりがいを感じます。仕事をしっかり覚えて、後輩にも伝えられる先輩になりたいです。将来的には、長く日本で生活したいので、永住権を取れるように頑張りたいです。

ー最後に、後輩たちにはどのような事を伝えたいですか。

内定がなかなかもらえないと、落ち込むことがありますが、気にしすぎないことが大切です。企業ごとに、求める人材が違うので、自分に合う会社が他に必ずあるはずだと思って、前向きに考えてください。

また、周りに仲間や相談できる人を持つことも大事です。一緒に情報共有したり、落ち込んだ時に一緒に分析して改善策を考えられます。日本の新卒の就活は大変な面もありますが、企業が社員を育てる文化があるので、新しいことを学びながら働ける環境があります。頑張りましょう。



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