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向学新聞2020年10月1日号記事より>

日本も世界も共に生きる


酒井教授エッセー 第1回

コロナ禍が生んだ漢字アートブームinホーチミン

酒井教授

ベトナム視察の酒井教授(右側)

< 酒井順一郎 略歴 >
総合研究大学院大学文化科学研究科修了、博士(学術)
国際日本文化研究センター共同研究員、東北師範大学赴日本国留学生予備学校、長崎外国語大学を経て、現在、九州産業大学国際文化学部教授
主要著書:『清国人日本留学生の言語文化接触-相互誤解の日中教育文化交流-』(ひつじ書房、2010年)、『改革開放の申し子たち-そこに日本式教育があった-』(冬至書房、2012年)、『日本語を学ぶ中国八路軍-我ガ軍ハ日本下士兵ヲ殺害セズ-』(ひつじ書房、2020年)

ベトナムと日本を繋いだ漢字文化

アートは心と教養の栄養剤


 今号から、九州産業大学の酒井教授にエッセーを連載して頂く。酒井教授はエンターテイナー・研究者・プロデューサーとして、文化・教育・政策など、社会が協働し豊かになるための様々な取り組みをされている。今回は教え子の坂田氏とベトナムについて語って頂いた。


 はじめまして、今回からエッセーを担当します酒井順一郎でございます。

 今回ご紹介する話は、教え子の坂田君(修士課程)です。彼の売りは軽いフットワークと5ヶ国語(日本語、英語、スペイン語、中国語、ベトナム語)を操ることができ、世界中のどこでも生きていける逞しさを持っていることです。学生時代は、ギター一本担ぎ、ヨーロッパを放浪し、ついには手持ちの金が尽き、ピサの斜塔の下でストリートミュージシャンとして生計を立てていたというから並みの青年ではありません。その腕前は相当なもので米国の観光客から相当なご祝儀をもらうことができ助かったとのこと。そして、3年前、フランスで開催されたジプシージャズのフェスティバルに行き、ついにデビュー。実際は飲み屋でセッションし大喝采されたとのことのようですが、かなりの行動派アーティストといえます。

 因みに私は20代~30代の頃、バンドでソ連、メキシコ、米国でドサ回りをしました。大人気ない対抗心、失礼しました。

 私が指導していた時も「師匠(我が研究室のしきたりです)、1週間お暇下さい。」と言うや否や翌日からキューバに飛び、経済自由化が進む社会主義国の状況を視察してきたというから、その知的好奇心の旺盛ぶりには頭が下がります。そんな坂田君、今やベトナム国家大学であるホーチミン市人文社会科学大学で立派に研究と教育をしている講師となり、活躍をしています。

 彼のいるベトナムにもコロナが襲ってきました。彼らはコロナを戦うべき「敵」とし、その対応は日本よりも迅速でした。感染者隔離だけでなく、2月には、国がコロナの情報アプリをリリースし、民間の通信会社は国からの依頼で僅か6日間で特設ウェブサイトを立ち上げ、全感染者がリスト化され、感染場所も公開、その後、4月から主要都市をロックダウンさせ、迅速かつ徹底した対策がとられました。今年5月時点で、米国『Politico』誌の「最もコロナ対策を行っている国」の調査では、調査対象30ヶ国中、1位でした。日本は、米国と中国との戦いに勝ったベトナムの危機対応に真摯に学ぶべきとつくづく思いました。

坂田氏の弟子たち

 坂田氏の弟子たち

アートとしての漢字

 アートとしての漢字

漢字の美しさを再認識

 漢字の美しさを再認識

 彼の大学がロックダウンされるや否や、リモート授業をすることになり、日本でもそうですが、一部の学生は精神的なダメージを受けました。世界中を旅し豊富な知恵を持っている坂田君、少しでもベトナムの若者が前向きになって欲しいとの願いから、あれこれ考えた結果、「漢字はアートだ」に至ったそうです。

 それからは早いもの、ホーチミンの日系の100円ショップで筆ペン、絵具を購入し、まずは自分が描いたものをベトナム人の友人や近所の人に見せたところ、これが思いのほか大受け。早速SNS等で公開したところ、弟子入り志願者が殺到、ついには、「漢字アート塾」を開設し、今では近所の人やベトナム人以外の外国人までもが弟子入りし、ホーチミンではちょっとした漢字アートブームだそうです。

 坂田君曰く、「ベトナム人は、漢字の形の美しさを通し、かつて漢字圏であったという歴史を再認識したようです。そして、ベトナム語と漢語の密接な関係や、表意文字、造語力に感動し、特に日本語学習者は漢字が苦手だというイメージが変わってきています。」とのこと。苦手な漢字からアートとしての漢字へ、漢字を通したタイムスリップ、彼の創った漢字アートブームは、ベトナム人にロマンチックで創造的な夢を見せたのでしょう。

 まさに、アートは心と教養の栄養剤です。

 異国の地で一人の日本の若者が知恵でもって人々を感動させ夢中にさせていること、それは、コロナ禍という汚れた環境の中で染まらず咲いた美しき漢字アート、つまり「泥中の蓮」を創り出したことを忘れないでください。そして、「泥中の蓮」はきっと我々の身近にあります。さあ、我々も「泥中の蓮」見つけ、粛々と感染予防し乗り切ろうではありませんか。

 最後に、坂田君、コロナ制圧後、日・越・中・韓・台の皆様と一緒に『21世紀の漢字圏サミット』を計画しよう。もちろん、『向学新聞』のコアな購読者の皆様もご協力くださればありがたいです。では、では。


坂田氏コメント

 ご紹介くださり、ありがとうございます。ご存知の通り、かつてベトナムは漢字圏でした。今では「ラテン文字」となり、そのラテン文字を毛筆で書くベトナム式書道(ベトナムでは「書法」と呼びますが)があります。日常生活で一般のベトナム人が漢字を使用することはまずありません。ましてや、毛筆についても日本のように学校教育で学ぶことはありません。しかし、多くのベトナム人が人生で一度は、毛筆で漢字を書きたい、その文化に触れてみたいという憧れの念を持っているように感じます。そういった背景が「漢字アート」の密かなブームと繋がったといえます。

 日本とベトナムはこれからもっと親密な関係を築いていくでしょう。私たちは幸いにも文化的な価値観を一部共有しているところがあります。そこで皆さん一つ私から提案があります。表面上の小細工などではなく、もっと本質的な相互理解を深め、「親近感」をキーワードに、それを深め、お互いに歩み寄ってみてはいかがでしょうか。私もそれを胸に刻み、今後もここホーチミンで「日本語・日本文化の普及」に勤しんで参りたいと思っています。

エッセー 第1回 コロナ禍が生んだ漢字アートブーム in ホーチミン
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