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立命館アジア太平洋大学(APU) 

向学新聞2011年12月号>

学部の約50%が外国人学生  世界的視野と感覚体得
世界から学生が集まる

 「この大学に絶対入りたい」。2005年にAPUに入学し、卒業後大分県別府市にある観光会社で働く呂凡さん(中国出身)は、高校生の頃、開学して数年の大学を見てこう思った。「まだ何もないからこそチャンスだ」と考えたからだ。APUは2000年4月、別府湾を一望できる大分県別府市十文字原の丘の上に建学され、現在81カ国・地域からやってきた約2700名の外国人学生と約3300名の国内学生が在籍している。「約50パーセントが国際学生」、日本語と英語で授業を行う「日英二言語教育」というコンセプトを実現し、国内大学の国際化を牽引する。学部レベルで約半分が外国人学生という大学は世界でもほとんどない。多様な国籍・人種の学生が集うAPUでは世界の縮図を見ることができる。
 呂凡さんは入学後「天下日中友好交流サークル」(当時名)に所属し、日本人の凝り固まっていた中国へのイメージを変えるため、反日デモが起こった2005年に40人の日本人学生を連れて上海に渡った。報道とは裏腹に、ありのままの中国の姿を目の当たりにした日本人学生の反応は良かった。「日本と中国の架け橋ではなく、踏み台になりたい」と語り、今後の日中友好の更なる深まりを期待する。
 様々な国籍の学生が集うAPUは、国際交流の最前線。学生達が積極的に文化交流し、価値観の違いを知り、お互いを理解することを学ぶ。呂凡さんは学生時代を振り返り、「無料で世界を旅することができた」と語る。別府にあるこの多文化キャンパスには毎年約400社の企業がやってくる。激しさを増す国際競争は、多くの企業をグローバル人材獲得に駆り立てている。文化の違いを超えて世界の人々と理解し合うことができる力が必要とされており、そのニーズに応え得る学生を輩出しているのがAPUだ。


国際学生寮

 APUには、外国人学生と日本人学生が共に生活するAPハウスという国際学生寮がある。約1300人の学生が居住でき、寮では英語、日本語など様々な言語が飛び交う。異なる文化的背景を持つ学生と共同生活を送ることで、異文化コミュニケーション能力や外国語能力を身につけ、国際社会で活躍するのに必要な経験を積むことができるのだ。
 「一度他人を自分の家族として受け入れる力を身につけることができれば、その力は誰に対しても発揮できる。情は元々あるのではなく育つもの」と国際経営学部の横山研治学部長は話す。さらに、「以前、寮で同じ部屋に住む日本人学生と韓国人学生がいた。彼女達は、領土問題からスポーツの話題まで、日本と韓国の立場からよく喧嘩をした。でも本当の兄弟のように仲が良かった。同じ物を食べ、同じ布団で寝て、長期休みになるとどちらかの実家に行く。国家レベルの問題があったとしても、彼らにとっては大した問題ではなかった。お互いを大切な家族だと思っているから。そういった情を育てる環境がAPUにあることを学生から教えてもらった」と共同生活の意義を強調する。
 APハウスには、寮生をサポートする「レジデント・アシスタント(RA)」と呼ばれる学生がいる。RAは選抜を突破した学生で、各フロアに2名ずつ配置されており、寮生は寮や大学で困ったことや、分からないことがあればいつでもRAに相談することができる。急病で病院に行く場合、RAが付き添い通訳などを手伝うこともあり、24時間体制で全面的に寮生をサポートする。RAを体験した4年生のゴー・エイドリアン・ロビンさん(フィリピン出身)は「フィリピンでは年齢による上下関係はあまり気にしないが、RAになり後輩ができて、心配したりすることで自分も知らないうちに成長した」と実感する。ゴー・エイドリアン・ロビンさんは、多様な国籍で構成される64人のRAのリーダーも経験しており、異なる文化的背景を持つ学生をまとめる苦労も知る。「出身国や文化が違うと、必要とするものも違ってくる。共通点を探さなければならず大変だった」。自国の常識が海外では通用しないといった状況が、グローバルな世界では日常的に起こり得るが、そこからお互いが納得できる道を見つけ出す力がビジネス面でも、生活面でも今後より一層求められる。APUの学生は、その素地を既に大学時代に養っているのだ。


伝える力
 
 APUの特徴の一つが「日英二言語教育」。同じ授業内容でも、日本語と英語の二言語で多くの講義が開講されている。APUは日本語か英語のどちらかが、必要とされる基準を満たしていれば入学が可能で、大学4年間で、日本人学生・外国人学生が日英バイリンガルになることができるようなプログラムが実施されている。一般的に、日本の大学に入学するには一定の日本語力が要求され、日本語学校を経由してから大学に進学する外国人学生が多い。しかし、APUは日本留学の壁を低くし、様々な国から外国人学生を受け入れることに成功した。現在は流暢に日本語を操るゴー・エイドリアン・ロビンさんも日本での留学先を決める際、「英語で勉強できるところを探した」と当時の状況を述べる。
 外国人学生が日系企業に就職できるようキャリア日本語の授業も充実している。例えば、履歴書に関する授業では、適切な字数から自己PRの書き方までのきめ細やかな指導を行う。そういった授業を通して、スキル面の習得だけではなく自分自身を見つめ直し就職活動に臨む。
 この国際的な環境で、日本人学生も世界的な視野と感覚を体得していく。RAでもある2年生の鈴木智也さんは、現役高校生の頃、APUに合格するも入学せず、浪人の道を選んだ。しかし、ある体験が転機になり、1年後APUの門をくぐった。浪人時代のある日、夜遅くの新宿駅のホームで外国人観光客に中野駅までの行き方を質問された。「彼が聞きたいことは理解できた。ただ、英語で話した経験がなく、どれだけ教えたくても教えることができず、彼は目の前で中野駅とは反対に向かう電車に乗ってしまった。これだけ英語を勉強して、難しい単語を覚えても、日常的な場面では全く使えないと分かった」と語る。英語を話す環境の必要性を痛感し、思い浮かんだのがAPUだった。「あの時の経験が全て」と振り返る鈴木智也さんはAPUに入学してから、「こんなに勉強するようになったのはいつからだろうと、親が本気で感動している」ほど猛烈に勉強している。大量の英語での課題をこなしながら、授業でネイティブ並みの英語を扱う外国人学生と対等にディベートをする。寮に戻ればイタリア、ベトナム、バングラデシュ、インド出身などの友人達と英語で会話をしながら食事をし、RAとして「僕達は元気を与える立場。どれだけ眠くても、眠いとは言わない」と昼夜を問わず寮生をサポートする毎日を送っている。長期の留学経験はないが、外国人学生から「どこに留学していたのか」と聞かれるほど英語も上達した。転機となった浪人時代から2年、自らの成長を感じながらこう語る。「下手な英語だけど、自分の気持ちを伝えるため一生懸命話している。打ちのめさることも、苦しいこともある。ただ、そういった困難がどれだけ自分を成長させてくれるかが分かる。だから必死にやってきて、伝えることに関しては負けないと思えるようになった。ここでの体験はやっぱり宝物」。
 偏差値やテストのスコアだけでは心までグローバル化させることは出来ない。APUは「日本にいながら世界を体験する」にはこの上ない環境だ。



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