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三遊亭 竜楽さん 


八ヶ国語を駆使する「落語の伝道師」


~ 世界を癒す落語の力   聞く人と一緒に作る ~


 落語家の三遊亭竜楽さんは2008年から海外に赴き、現地の言葉による落語口演を続けている。これまで訪れた国は9ヶ国・50都市、公演回数は約180回を超える。8ヶ国語を操る噺家として知られる竜楽さんに、各国での落語の受け止め方の違いや、今だからこそ必要とされる日本文化の「癒しの力」についてお話しをいただいた。


三遊亭竜楽さん

「留学生には本当の日本の魅力を知ってほしい」と熱く語る三遊亭竜楽さん



          



<プロフィール>
 三遊亭竜楽(本名:柳井淳嘉)1958年9月12日群馬県生まれ。中央大学法学部卒。日本テレビ「笑点」の「若手大喜利」等に出演。2008年フィレンツェ・フェスティバルジャポネーゼでイタリア語落語を演じたことがきっかけとなり、字幕・通訳無しの現地語口演を始める。毎年ヨーロッパ・アメリカなどを訪れ、日本語のほか、英語、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、中国語の8か国語による落語を達成。企業・学校・一般向けに講演活動も行っている。



世界で落語をして見えてきたこと


――海外での落語の受けとめ方はいかがですか。やはり国ごとに違いますか。

ドイツ ライプツィヒ大学での口演 2013年

 ドイツ ライプツィヒ大学での口演 2013年

 全然違いますね。イタリアの方は陽気で爆笑の連続です。セリフが聞こえなくなるくらい(笑)。スペインやポルトガルもラテン系ですからよく笑いますね。フランスの方は派手な反応はしません。でも、すごく良く聞いています。観察するのが好きで、微妙な演技をちゃんとキャッチするのでやりがいがあります。意外だったのはドイツ。真面目で笑いと縁遠いイメージですが、落語は大ウケしました。コントやドタバタ劇と違い、たった一人の語りを想像力を働かせて鑑賞する落語の芸質が、頭を使うことが好きな国民性にフィットしたのだと思います。中国は去年初めて行きましたが、大爆笑でした。


 アメリカの方は、分かりやすくしないと理解できません。「こっち向いている人がご隠居さんといいまして高齢者、こっち向いてしゃべったら、はっつぁんという若い人が話していると思って下さい」ときちんと説明しないと多くの人は分からないんです。


――どういう文化の違いがあるのでしょう。


 彼らは生まれた頃からずっと派手で刺激的なことばかり経験しているので、そういうものじゃないとやっぱり反応しないんです。感性で言うとヨーロッパ人とアメリカ人は真逆でしょうね。


 アメリカは何事も合理的にします。競争に勝つことや技術の進歩の点では優れているし、すごく活力がありますよね。実際ミュージカルなどを見るとすばらしい技芸の集大成です。でもそこには想像力を発揮する余地がないんですよ。鑑賞者がどんな生まれ育ちの人でもそこに座れば最後まで確実に楽しめて刺激を受けられるよう作り上げている。作り手は最高の技術者です。そういう芸能は、悪い見方をすると「鑑賞者に何も考えさせない」ものですよね。


 恐らく私がアメリカから外国語落語の活動を始めていたら、そこでやる気がなくなってしまって終わっていたと思います。始めたのがヨーロッパだったからどの国に行ってもそれなりの反応があって評価を受けたし、すごく楽しくて充実感がありました。ところがアメリカでは極端に言うと「立ち上がって踊れねえのか」。「何でずっと座ってるの?」という感じなんですよ。右向いて左向いてしゃべったとたんに「あ、人件費がないんだな。あれば二人雇えるのに」と(笑)。もちろんトップクラスの人たちは自分で芸術を吸収しているし本質を理解するんですが、それ以外の多くの人たちはそういう感性は失っているようで、アメリカの強さと弱さのようなものを感じましたね。



一番笑わないのは日本人


 もう一つ言うと、これは日本人についてですが、大体の外国人は「日本人はあまり表情を変えず、にこやかじゃない、何を考えているか分からない」といった印象を持つんです。私が実際世界で落語をやるとやっぱり日本人が一番笑わないんですよ。だから私はどこに行っても楽しいんです。日本でやるよりウケるから(笑)。日本人は世界で一番笑わない人、これは間違いなくいえます。


 その理由は、日本が平和だからです。ある程度の文明社会で、誰も通らない一本道を、見知らぬ二人が言葉も交わさず、相手に一瞥もくれずにすれ違うことができるのは世界で日本だけです。どんな国に行っても向こうから来る人は自分に危害を加える可能性が日本よりかなり高い。だから身を守るためにはまず笑顔。それで敵じゃないことを確認して、会話を交わして笑いあう。彼らにとっては笑いは生活必需品なんです。


 だから企業の紹介パンフの顔写真で、日本人になくて外国人にあるもの、それは「歯」なんです。外国の会社のパンフはCEOが必ず歯を見せて笑っていますが、それはみんなが笑顔を持っていない人に警戒心を持つからです。逆に日本人はむやみに笑う人に警戒心を持ちますよね。穏やかに暮らしていて笑顔を見せる必要がないわけです。


――だから日本で落語をするのは世界一難しいと。


 世界で一番笑わない人を笑わせるんですから。落語に限らず日本のお笑い文化は世界一だと間違いなく言えます。



どんな人とも空間を共有


――竜楽さんが考える日本の落語が持つ“底力”とは?


 座布団に正座というような静かな佇まいで、一人が首を左右に振りながら何役も演じ分ける芸能は世界で日本にしかありません。ピエロも一人芝居も一人一役しかしませんが、落語家は何の役でもします。衣装も着ないで。でも、右を向いて左を向いたそのときに、衣装を着替えさせているのは聞いている人なんです。われわれの芸はすべて聞いている人と一緒に作っていくんです。

フランス  アヴィニョン演劇祭  2014年

 フランス アヴィニョン演劇祭 2014年


 例えばキセルはたばこを吸う道具ですが、落語では扇子でそれを表現しますよね。イタリアでの口演で、それを説明しないで扇子をくわえてしまい、よわったな、と思ったけどもうやるしかないという場面があったんです。でもみんな普通に笑ってるんですよ。その扇子でみんなが「日本ではこんな感じのパイプがあるんだな」とイメージしたんですね。もし私が本当のキセルを持ってたら絶対雑念が入るんです。あれは何で出来てるんだとか。ところが扇子だから自在に自分たちで描けるんです。


 つまり落語っていうのは、そこにいる人間が全て別々の国から来た人で、どんな生まれ育ち、感性、理解力の人であってもひとつの空間を共有して笑っていられる。これに気づいたのが世界で落語が絶対できるなと思った瞬間だったんです。半分は聞いている人が作ってるんですよね。その人たちに想像の時間と空間を与えるのが我々の主な仕事なんです。


 およそ芸能ってものは、私を見てくれ、俺の言うことを聞いてほしい、これを歌うから鑑賞してくれっていう自己主張なんです。ところが落語だけは自己主張じゃないんですよ。私もいるけど皆さんもいますよね、一緒にやりましょう、という芸能は落語だけです。


 なぜ日本だけにそういう芸があるのかといえば、「古池や蛙飛び込む水の音」って有名な俳句がありますよね。それだってどんなシチュエーションで成り立ったか、もう何冊も本ができるぐらい説があるんです。なぜかというと、17音だけで書いてあとはすべて鑑賞者に委ねているからなんですね。事細かに全部説明していない。それぐらい鑑賞者を尊重してるんです。日本画だって余白に多くを語らせています。すべて日本のものはそうなんです。それを見る他者への意識、自分以外のものへの暖かいまなざしがある。「みんな仲間である」ということなんですよ。自然だってそうじゃないですか。海外に行ったら自然は野蛮なもの、敵対するものですね。ところが日本では金太郎が熊と相撲をとって友達になる。自然は自分たちと一緒にいるものという連帯意識です。こんな文化は、もしかしたら文明社会においては日本だけが一貫して持ち続けている価値観かもしれません。



落語は想像力を豊かにする


 世界で今起こっていることのほとんどの出来事は「俺が正しい」っていう人どうしのぶつかり合いなんです。日本は「私も正しいけど皆さんの正しさもありますね」っていう考えですよね。だから最近、本当に日本文化を広めていく意味を感じています。世界で一番つまらないと思われている日本の人が来て、地元の人を大笑いさせてひとつになれる。落語には世界を癒す力があるんです。


 重ねて言えば、いじめでも、暴力や戦争でも、みんなその元は自分以外のものへの想像力の欠如なんです。それを考えると、落語は言葉ひとつで映像を描きます。そういうものを聞くことは想像力を豊かにしますし、それが他者への想像力にもつながって、自分以外のものを思いやる気持ちを育てることになっていくんです。


 笑いというものはみんなが楽しく受け入れます。無理やり教え込むんじゃなくて、楽しんでそういうことを受け取ってもらえるし身につけてもらえる。笑いによって日本ファンを多く作ること、それが世界を精神的に豊かにすることになるような気がしています。


2017年11月21日には東京・内幸町ホールで独演会を予定。独演会や講演会の問い合わせは、㈱オフィスまめかな/TEL03―5447―2215へ。


 


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