Top向学新聞>2020年1月1日号

起業家の視点


斎藤 俊男 氏
株式会社ティー・エス 会長

斎藤 俊男 氏



< 斎藤 俊男(さいとう としお) >
ブラジル出生の日系二世。日本国籍。埼玉県で人材派遣業、貿易業、農業を営む。ブラジルのパラナ州立ロンドリーナ総合大学教育学部を卒業後、1990年にデカセギで来日。高圧線の高所作業で資金を作り、1995年に人材派遣会社を設立。1998年には地域の日系ブラジル人を主な対象とする「ティー・エス学園」を私財を投じて設立し、日本とブラジルの架け橋となる人材の育成に尽力。その後農業に参入、土地の開墾から始め、日本全国の高級デパートやレストランに一年中出荷される高級ブランド葱「ネギ王」を育て上げる。更に、NPO法人「在日ブラジル人学校協議会」理事長として、在日ブラジル人の教育問題に取り組む。2018年、日ブラジルの相互理解促進の功績を認められ外務大臣表彰を受けた。



事業の基礎は地域との輪


楽しい日本語教育を



 日系二世として起業し高級ネギの生産で独自の地歩を築くとともに、在日ブラジル人子弟の教育問題に取り組む斎藤俊男氏に、事業に取り組む心構えや共生に対する考え方についてお話を伺った。


 
自分から輪に入って行く


――起業しようと思ったきっかけは。

 私は日本に来た時には日本語を喋れたので、喋れない仲間から「仕事の面接に行きたいので一緒に行ってくれないか」と頼まれたんです。それで休日にボランティアで通訳しているうちに、いろんな会社の方と仲良くなりました。お金を取っていなかったのでお世辞を言わず対応でき、みな一対一で見てくれました。ある社長に「こんなにみんなあなたを頼ってくるのになんでそれを商売にしないの?」と言われ、それも良いかなと思い起業しました。

 当時は有限会社を作るのに300万円必要だった時代です。高圧線の仕事で2年で600万円貯め、300万は資本金、あとの300万を1年の生活費にして会社を始めました。

――いま地域の担い手としてご活躍されていますね。

 会社設立当初は私は地域との輪がなく、メンバーは私と奥さんとその知り合いやブラジルの仲間だけでした。ブラジルの仲間がいても結局商売にはならないんですね。そこで何をすれば地元の人たちと仲良くできるかと思い、商工会や法人会やロータリーなどに加入して自分から輪に入っていき、みんなが自分のことをわかるように運動しました。それでみんな私がブラジルから来て商売しているということはかなりわかってきたんですね。

 地元があって自分があります。事業をするならまず基礎を作らなければならず、その基礎はやはり「輪」だと私は思います。どのくらい自分が地元に入り込めるかによって商売がうまくいくかが決まるのです。

――今一番大きなビジネスは。

 ネギと学校ですね。

――農業を始めた経緯は。

 リーマンショックの後に仕事がなく、人が余っていて借金がありました。たまたま私が町へ税金の相談に行ったところ、途中に空き地があるのを見て、何かできると思ったんです。「なんで土地がない島国でこんなに土地を粗末にするのか」と思いましたね。農業委員会に聞きに行ったら「やる人がいないから」だと言うので、じゃあ自分がやろうと思いました。

 でもその場で「あなたはダメ」とはっきり言われてしまいました。日本は認定農家制度で、代々続けているので、今日から農業するというわけにはいかないのです。そこで許可を取る方法を詳しく聞いて取ろうとしたら、今度は「あなたは農業認定を得て土地を安く買って不動産に転がすのではないか」と言われました。私は地元で信用があったので、政治関係の人たちが「斎藤さんはそういう人間じゃないよ」と言ってくれて始められたんですけどね。

――従業員の方は就農経験はあったのですか。

 みんな経験なしで始めましたが、地元の現役農家の方々が支えてくれて、ハウス作りから全部教えてくれました。この辺りの農家の方は子供が都会へ出たりしてほとんどが一人でいる高齢の方々です。やっぱりちょっと寂しいのか、20~30代の人が色々話を聞いたりすると、徐々に「この人たち役に立ってるね」と思ってもっと熱心に色々教えてくれたんです。

――各地で外国人の活躍と多文化共生が進む中、参考になるお話です。

 多文化共生については、私は、日本に来ている外国人がまず日本の行事や文化などを色々学んでそれに合わせることが大事だと考えています。外から来た人に地元の人が合わせなければならないというのもおかしな話です。来た人が地元の人に認められるような運動をするべきだというのが私の考えです。皆さん好きで来ているわけですから、まず場に従って動くことは当然ではないでしょうか。

 私が本当に共生が必要だと思うのはこういうことです。会社を作った時、お金を借りようと国民生活金融公庫に申し込んだらまったく問題なく認められました。ただ、実際にお金を貸す窓口は銀行です。私は当時ある銀行に口座があったので、銀行に行って窓口になってほしいとお願いしました。その時副支店長が簡単に「あなたは外国人だからなれない」と言ったのです。常識的に考えれば誰でもお金を借りられるべきだと思いますが、国が認めたのに銀行が認めないということがあったのです。違う銀行に行ってうまく話したら借りられましたが、私のように人脈がなく頼れる銀行がそこしかない人の場合は、そこで終わりです。

 また、10年ぐらい同じ会社で働いている日系人が自分の家を買うのに銀行にお金を借りに行ったら、「あなたは永住ビザを持っていないから借りられない」と言われたのです。その人は帰るつもりはないし、だからこそ家を買いたいのですが、もう少しそういうところの理解が欲しいですね。

 でも外国人がゴミの捨て方を間違えたのを多文化共生だから日本人が認めるべきだというのは明らかにおかしいです。それは外国人が勉強すればいいだけの話ですから。

――外国人子弟への教育が問題となっていますが、日本に来た子供たちには何をどのように教えるべきでしょうか。

 まず国語。そしてマナーです。日本語については遊びながら教える楽しい日本語教育を考える必要があります。たぶん人間はプラスとマイナスが一緒になるのが一番楽しく思える部分ですから、ゲームなどで日本人の女性と外国人の男性、外国人の女性と日本人の男性などを混ぜてうまく教育できたらベストですね。相手に興味を持つ仕組みを作ってうまくコミュニケーションを取る方法を考えたらどうかなと思います。

 今うちの保育園では日本語、英語、ポルトガル語の三か国語で教えていて、ブラジルの子が日本語を喋ったり日本人の子がポルトガル語を覚えたりしますが、その子は大きくなると多分すぐ言語を覚えられると思いますよ。

<1>  <2> 自分を好きになると人生は楽しくなる ―



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