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水と水素で走る自動車 


世界初、水を燃料に使用  最高時速180キロ以上


  今月は、世界初の「水と水素で走る自動車」を開発した、株式会社水素エネルギー開発研究所の渡邊賢弐社長にお話をうかがった。


人類の長年の夢が実現


――水と水素で走る自動車とは?
  現在公道を走行している試験車は市販車の日産エルグランド(排気量3500CC)を改造したもので、06年7月に国土交通省の認定を受けナンバーを取得しています。エンジンの燃料供給系統を改造し、水素を燃焼させて水を水蒸気にし、その力でピストンを動かす水蒸気機関となっています。最後部の座席をはずして水素燃料タンクを2本設置し、ガソリンタンクには普通の水道水を注入します。このシステムを「HAWシステム」と呼び、中古車やディーゼルエンジンにも適用可能です。最高時速は180km以上で、水素タンク2本で300km走れます。水素タンク1本につき必要な水は20~30リッターくらいです。水を燃料にする技術は世界初・唯一であり、既に35ヶ国で特許を取得済みです。長らく人類の夢であった「水を燃料にする」技術が実現したのです。
  高価な燃料電池車と異なり、このシステムなら一千万円以下で従来の車を簡単に改造できます。自動車メーカーは従来どおりの車を作っていればよく、水素自動車をほしい人だけが私どものフランチャイズ工場で改造してもらえばいいのです。試験が終了し認可を受けた後には各地に工場を開設し、ガスステーションも作っていきます。普及していけばさらに改造費は下がるでしょう。
  外国では、今年中にも米ロサンゼルスの国際空港のシャトルバスとして提供する計画が進行中で、すでにガスステーションも整備されており、最初の1台を無償提供する予定です。中国政府も、2008年の北京オリンピックと2010年の上海万国博覧会の開催をにらんでこの技術を使いたいと申し出てきており、今年中にもさっそく自前で工場を整えて、各市のタクシーやバスなど公用車20万台に搭載したいということです。中国の環境問題の被害は遠くニューヨークにまで及んでおり、何とかしなければ全世界にまで被害が及んでしまいます。中国はエネルギーの8割を石炭に頼っており、しかも現在ものすごい勢いで車が増えています。まず中国の公害問題から解決しなければなりません。


地熱を利用して水素製造

――開発に取り組むようになったきっかけは。
  43年前、私がこの研究をスタートした当時はCO2による温暖化や公害の問題を口にする人は一人もおらず、「お前は馬鹿ではないか」といわれたものです。私は航空機エンジニアだったのですが哲学が好きで、「千年後の文明が一冊の本に著されたとすれば、その1ページ、1行でも欠落すれば文明が成り立たないものは何か」と考え、エンジニアとしてできることはないだろうかと考えました。人類の歴史はエネルギーを駆使してきた歴史です。最初は草木を燃やして獲物を焼いて食べていましたが、近代になって石炭が発見されて、鉄の時代が展開され、蒸気機関車を発明し、さらに石油を発見して飛行機で簡単に空を飛ぶようになったわけです。しかし石油は有限資源であり、いずれは枯渇してしまいます。風力、バイオエネルギーなどの代替エネルギーも全て供給量に限界があります。そこで私は、地球上で最も多い分子で、無尽蔵であり、なおかつ自然のサイクルに適う水素に着目したのです。私は車を開発する一方で、水素をいかにして安定供給するかという問題にも取り組み、地熱を利用して安価に大量の水素を製造する方法も開発しました。地球には数千年前から温泉というものが存在していますが、この温泉の熱程度でも電気をおこして水素を作れます。1キロワット作るのに原子力なら4~5円かかりますが、私の方法なら22銭しかかかりません。しかもCO2は一切排出されず、地球の自転が止まらない限りマグマによる地熱は存在しますので、人類がいくら使ってもなくならないのです。これで千年後の文明もきっと安泰でしょう。
  私は100年もない自分の人生を何とか有意義なものにしたいと考え、血道をあげて、あるときは野菜売りや不動産屋などもしながら一人で開発を進めてきました。既に20数年前には基本技術の開発を終えており、1984年には富士スピードウェイで、水素吸蔵合金タンクを積んだ車で時速130キロで走り、デトロイトで発行されているアメリカ最大の自動車工業新聞、オートモーティブニューズに、特集として数ページにわたって「水素パワーを手にした男」として紹介されています。
  私は、社員にはいつも、「できませんという言葉は通用しない。どうしたらできるようになるか考えるのが仕事であり、それが付加価値を生むのだ。諦めと妥協は禁物である」といっています。多くの人のために尽くし、多くの人を救うことで結局自らも救われるのです。どれだけ多くの人を救いきるか、ということに目を向けなければならないと考えています。