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Gkobayashiharu

TITLE:小林ハル
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小林 ハル 
(こばやし はる)

最後の瞽女

運命を受容する強さ  選択無形文化財に認定

 生まれてまもなく、光を失った小林ハル。盲目の女旅芸人である瞽女になるしか、生きるすべがなかった。母の厳しくも、愛に溢れた訓育が始まった。2歳で父を失い、11歳で母を失ったハル。次々と襲う艱難辛苦の中で、ハルは母の躾を立派に守り、誇り高き瞽女として天寿を全うした。



光を失う

小林ハルHP

 小林ハルは三味線を弾き唄を歌いながら旅を続ける、盲目の女旅芸人である。瞽女と呼ばれた。1978年「瞽女唄」の保持者として、「選択無形文化財」の認定を受け、翌年には国から黄綬褒章を受賞。そこに至る彼女の人生行路は、筆舌に尽くしがたいほどの苦難の連続であった。
 
 ハルが生まれたのは、1900年1月24日、新潟県南蒲原郡井栗村(現在の三条市)である。家には孫爺様(祖父の弟)、孫婆様、父母、それと4人の兄姉がいて、ハルはその末っ子だった。本来なら、甘やかされて育つところ、何と生後百日ほど経った頃、眼病を患い、両目とも失明してしまった。苦難の人生の始まりであった。ハルが2歳の時、父は目の見えないハルの行く末を案じながら病没した。
 
 家長の孫爺様はハルを瞽女にすると決めた。目の見えないハルの自立には、他の選択肢は考えられなかったのである。喘息に苦しむ病身の母も、それに同意した。そして、ハルを自分で自分のことができる女に育てなければならないと決意したのである。
 
 ハルを瞽女に出すと決めてから、母の躾は厳しかった。躾の最初は針の穴通し。針の穴に糸を通す訓練である。目が見えても難しいのに、5歳のハルに母は容赦しない。通さないと食事も与えられなかった。「私が死んだ後、行くところなく苦しむのはお前なんだから」と言って、母は心を鬼にした。盲目の娘を不憫に思い、陰で母はどれほど涙を流したことか。砕けそうになる心を奮い立たせる母だった。
 
 5ヶ月かかって、針の穴通しを憶えたハルは、次に縫い物と編み物の訓練を受けていく。「これはハルの編んだ巾着(金銭などを入れる袋)」と自慢する母の声は震えていたという。6歳になった頃には、将来の旅に備えて身支度の練習。着物を着て、帯を結び、頭には手拭いをかぶり、その上にかぶり笠。わらじを履いて、杖をつき、背中に荷物を包んだ風呂敷を背負えば、幼い瞽女の誕生である。
 
 母の訓育は徹底していた。いかなる時でも「ハイ」という返事をすること、決して言い訳はしないこと。目の見えない者は、一生他人の世話を受けなければならない。口答えをしたり、自分の意見を言えば、生きていけなくなる。母はハルに生きていくためのすべを叩き込もうとしたのである。


瞽女としての旅


 7歳で唄と三味線を習いはじめた。誰もいなくても、神様が見ているからと言って、一日も休まず練習した。ハルの記憶力は抜群だった。一度聞けば、たいていのことは憶えてしまう。そして9歳になったハルに初旅の時が来た。新入りだったハルは、自分の荷物を背負った上、さらに親方の荷物まで持たされる。小さな背中が荷物ですっかり隠れてしまった。それを見た母はたまらなくなり、親方に一言いいたかったが、後でハルがいじめられてはと思い黙った。そして「切ないときは、神や仏にすがってナ」と言って見送った。

 

 ハルが後年語り続けた言葉がある。「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」。ハルが最初に師事した親方は、決して「いい人」ではなかった。親方との道中は、ハルにとって修行そのものだったのである。親切な人がハルが背負う荷物に同情すると、親方は、「重そうにかつぐからだ。おらのせいだと思わせたいのか」と言ってハルを怒鳴りつけた。親方の茶碗を洗い、仕度も手伝う。風呂に入れば、親方の体の隅々まで洗わなければならない。ちょっと気を抜くと叱られる。12時頃まで唄って、その後雑務が待っているから寝ている暇がない。昼間、うとうとして壁に寄りかかっていると親方に叩かれた。
 
 親方は幼いハルをいびり続けた。ハルが音を上げるのを待っているのだ。音を上げれば、瞽女の勤めができないという理由で、ハルの家族から縁切り金をむしり取ろうという魂胆なのである。そのことを知っているハルは、泣くこともしない、家に帰りたいとも言わない。母や孫爺様に迷惑をかけたくなかった。ただ修行と思ってじっと耐え続けたのである。
 
 少しばかり目の見える女性を先頭に数人が連なって進む瞽女の旅は、苦労の連続だった。流れの速い川に一本の丸太が結わえてあるだけの橋。そこを重い荷物を背負い、這って渡る。その丸太が流されてしまうことも珍しくない。そんな時は、通りすがりの男におんぶしてもらって渡ったという。宿では、おねしょするからと言ってハルだけが断られることも多い。そんな時、ハルは木の洞(大きな穴)やお宮に寝る。静寂の中、フクロウの鳴き声、虫のはい回る音が不安にさせる。そんな恐怖の時、ハルは決まって孫爺様から教わったお経を読みながら、「神様がいる。怖くはないぞ」と自分に言い聞かせるのが常だった。
 
 瞽女は多くの村人からとても大切にされた。娯楽の少ない時代。瞽女が来た夜は、近隣から人々が集まり、一晩中唄って賑やかになる。瞽女が大切にされたのは、瞽女は聖なる来訪者だったからでもあった。蚕に瞽女の三味線を聞かせるとよく育つと言われたし、病人に瞽女の唄を聞かせると病気が治ると信じる人も多かった。また、村の女たちは自分よりも不幸な身の上の瞽女たちが、懸命に生きている姿を見て、励まされていたのである。


母の死と自立


 ハルが11歳の時、ハルの行く末を誰よりも案じていた母が死んだ。ハルが枕元に呼ばれたときは、声も出すことができなかった。じっと、ハルを見ながら息を引き取ってしまった。ハルを残して、母は死にきれない思いだったであろう。11歳にして両親を失ったハルは、母の後を追って自殺までも考えたという。しかし、瞽女としての2年の歳月は、ハルを逞しく鍛え上げていた。厳しくも、愛情をもって育ててくれた母のためにも、強く生きなければならないと思い、また、どんなにひどい境遇であっても、自分だけは神に恥じない生き方をしようと決心するのであった。
 
 ハルは、自分は師匠運が悪いと思っていた。最初の親方は強欲でハルをいじめ、挙げ句の果てにハルの声が悪いと言って、ハルを追い出す始末であった。2人目の親方は親切な人で、ハルにもようやく運が向いてきたと思われた。しかし、病弱な親方はハルを弟子にして数年で亡くなってしまう。3人目の親方も、体調を崩しがちで旅に出たがらなくなった。その結果、事実上ハルが親方になって、旅は続けられた。23歳のハルは、一人前の瞽女として自立の道を歩み始めたのである。
 
 ハルは弟子を大事にしようと心に決めていた。弟子には自分と同じ辛い思いをさせたくなかったのである。食べたいものを食べさせた。一緒に泊まれない場合、弟子には一番良い宿を探し、自分は別の宿に泊まった。そんなハルだから弟子から慕われた。


運命に逆らわず

 楽しいことなんか何もなかった。こう言い切るハルの生涯にあって、明るい希望が見えた時期があった。26歳の時、母を失った2歳の子ヨシミを養女としてもらい受け、育てることになったのである。ヨシミはハルにすっかりなつき、夜もハルの胸をまさぐり、出ないお乳を吸って寝た。子どものいる生活は張りがあり、生きる望みが湧いてきた。旅にヨシミを連れていくこともあった。子連れのハルは評判となる。ハルを真似て唄ったり、踊ったりするヨシミ、その可愛さに客も大喜び。しかし、4歳の可愛い盛りのヨシミは、風邪をこじらせ、肺炎を引き起こして、ハルの胸の中で息を引き取ってしまった。希望の芽が摘み取られてしまったのである。強靱な精神力のハルではあったが、1年間は唄うこともできず、食事もまともに喉を通らず、泣いてばかりいた。
 
 ハルの生きる信条は、何事も運命に逆らわず、辛い体験を修行と受けとめることだった。だからこそ、いじめられても、騙されても、絶望のどん底に落ち込んでも、それを修行として受け入れ、乗り越えてきた。面倒なことが生ずれば、いつだって自分が犠牲になる道を選んだ。ハルを知る人は言う。「ハルさんは、いつでも気持ちが平らで、怒ったのを見たことない。いつも礼儀正しいし、人の悪口も言わない」。どんなに辛いことでも、運命を呪うことなく、人のせいにすることのなく、「現世の運の悪さは、前世で悪いことをした巡り合わせだろうか」と言って耐え忍んだ。
 
 ハルの唄が世間に認められていくきっかけとなったのは、民俗学、口承文芸の研究家佐久間惇一との出会いであった。佐久間はハルの唄に感動し、この滅び行く瞽女唄と瞽女の生活の記録を何とか残したいと考えた。そして、國學院大學の民俗学の専門家にハルの唄を聞いてもらうことになったのである。すでに60歳を過ぎていたハルではあったが、一声を発するや否や障子がぴりぴりと震えだし、その響き渡る声に専門家たちは圧倒された。
 
 佐久間の熱意が、当時瞽女と決別していたハルを動かした。役所(新発田市)も重い腰を上げ、失われつつある瞽女唄の保存に乗り出すことになった。こうして瞽女唄の全曲の録音にこぎ着けたのである。佐久間は、「目の見えないもう一人の母を得た」と周囲に語るほど、ハルの人間性に心酔していた。晩年、ハルは良き理解者と出会えたことは、実に幸運であった。運命の神が、ハルに遅咲きの花を咲かせるための縁だったのかもしれない。
 
 2005年4月25日、105歳のハルは老衰により息を引き取った。苦しむこともなく、眠るような最期であったという。晩年ハルは「どんなに苦しい勤めをしても、次の世では虫になってもいい。明るい目さえもらってこれれば、それでいい。そう思って勤め通してきました」と語っている。肉体の殻を脱ぎ、明るい光の世界に旅立ったことだろう。

(写真提供/川野楠己氏撮影・社会福祉法人愛光会)


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