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呉善花

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呉善花  



日韓のギャップを越えて 
「悪魔の国」への留学  日本人の気持ちになってみる 

反日教育を受けた呉善花氏にとって、日本は「悪魔の国」だった。実際の日本は、親切で優しい人々であふれていた。驚きとショックと感激から始まった日本留学。しかし、徐々に文化、習慣の違いに思い悩む。日本理解の努力が始まった。

日韓の双方の努力

呉善花氏は、1956年韓国済州島生まれの女性ライターである。日本での著述活動は旺盛で、すでに著書は十数冊を数えるにいたっている。特に処女作『スカートの風』はベストセラー作品となった。この本は、日本で大変評判になり、韓国人とのビジネスや付き合いに苦しむ日本人にとって、韓国人理解の良き指南書となったことは間違いない。
しかし一方では、余りにも赤裸々に韓国の実状を叙述したため、韓国人から猛烈な反発が沸き起こった。売国奴と罵られたり、さまざまな罵詈雑言を浴びせられ、吊し上げや糾弾にあったこともしばしばであったという。
しかし、ここではその本の内容の正当性の論議はさておき、彼女が日本での留学体験、及び日本で学んだことなどに焦点を絞って書いてみたい。来年日韓共催のワールドカップを控えて、日韓のギャップがここにきて再び頭をもたげてきた。このギャップを埋める努力は、日本人に求められることは言うまでもない。しかし、日本人の努力と変化を待つだけでは、日韓の未来は建設的なものにはならないだろう。当たり前のことではあるが、韓国人側の努力も必要となるだろう。その点で呉善花氏の留学体験は大変参考になるものと思われる。

強固な反日教育世代

留学前の呉善花氏は、戦後最も強固な反日教育を受けた世代であった。日本とはどんな国かと質問を受ければ、「悪魔の国」と躊躇なく答えたという。そんな日本に彼女はもともと留学をする気はなかった。彼女の希望はアメリカ留学だった。しかし当時アメリカ留学はビザの取得が困難をきわめていた。それで、まず日本に留学して、それを足場にしてアメリカ留学をしようと考えていたのである。
「悪魔の国」での最初の体験は驚きとショック以外の何ものでもなかった。どこに行っても優しく親切な日本人、どこに行っても整然としてきれいな日本の街並。肩透かしを食らわされた感じがしたという。「悪魔の国」の人々が良い人であるはずがないという強い先入観を持っていたのである。
彼女より一世代前の韓国人や、あるいはもっと若い韓国人であれば、それほどのショックを受けないのかもしれない。彼女のショックは、強固な反日教育を受けたこの世代特有のものであったのかもしれない。受けた教育と現実とのギャップがあまりにも大きいので、悩み込んでしまうのだ。
日本にきて最初の1年は、そのギャップに悩みつつも、「悪魔の国」とは違う日本の姿に接し、感激の連続であった。しかし、その期間はそんなに長くは続かなかった。2年、3年と経って、日本の内部に深く入り込むような機会が多くなると、文化や習慣の違いからくる行き違いに悩むようになっていった。

日本人への嫌悪感

多くの日本人が親しく接してくれた。しかし、彼女のほうから深く入ろうとすると、なぜかスッと逃げられてしまう。たとえば、気の合った日本人の同級生がいた。授業はいつも隣り合って座り、食事も買物も一緒。トイレすら一緒に行くという仲だった。韓国では仲のよい友人とは腕を組んだり、手をつないだりして歩くことが多い。彼女が日本の友人にそうしようとすると、スッと逃げられてしまう。何か冷たい空気が流れ、「私のことを嫌っているのでは」という思いがしたという。
また、その友人は、消しゴムを借りるときにはいつも、「ちょっと、貸してくれる?」と必ず聞いてくる。返すときも「ありがとう」という。その度に、本当に彼女は私のことを友達だと思っているのだろうかと不安に襲われるという。友人同士の間でそんな距離を取るのはどうしてなのか。韓国では、親しい間柄であれば、友人のものをまるで自分のもののように断りもなく、また「ありがとう」の言葉もなく、勝手に使ってしまう。それが韓国での仲の良い友人同士の流儀なのである。
日本には日本の流儀があるということが理解できるようになったのは、しばらくしてからのことだった。日本人は韓国人のようにべたベタベタした関係を好まず、相手との適当な距離を保つことを大切にする。「親しき仲にも礼儀あり」である。韓国は逆に「親しき仲に礼儀なし」を重んじる。親密な関係では、私の物はあなたの物。あなたの物は私の物、距離があってはならない。距離があるということはとても失礼なことなのである。
こうした場面に何度か直面して、彼女はだんだん日本人の心がわからなくなった。日本人の温かさは表面だけのことで、内面は冷たい心の持ち主なのかもしれない。日本人は人間の心を持っていない。やはり悪魔と呼ぶにふさわしい国なのでは。
そうなると日本人の全てに嫌悪感を感じるようになった。韓国ではご飯茶碗を手に持って食べるのは、非常に行儀悪いことであった。日本人は茶碗を手に持って食べる。それが日本の作法だとわかっていても、生理的な嫌悪感を抑えることができないのである。彼女は学校に行くのが苦痛になるほど落ち込んでしまった。こんな窮屈な日本から早く脱出したい。何度もそう思ったという。

1年以内か、5年以上

呉善花氏は、日本にくる韓国人にこう助言する。「日本にいるなら1年までにしなさい。もっといるならば5年以上いなさい」と。韓国で聞かされていた日本のイメージが好転するのが1年目。日本とぶつかり合うのが、2年目、3年目。日本の良さも悪さも、韓国の良さも悪さも、客観的に見えてくるのが5年目だという。これは彼女の体験からにじみ出てきた言葉である。
日本人と韓国人は、お互いが外国人である以上、価値観や美意識が違うのは当然のことである。それなのに、地理的にも、人種的にも、文化的にも、世界で最も似ていて近い関係にあるため、無意識のうちに外国人意識をなくしてしまい、身内意識で相手を見てしまっている。このことに気付いたのは、彼女が来日して5年目のことだった。
それまで、韓国人としての自分の立場からしか日本を見ていなかった。無意識のうちに自分の行動や思考を良しとして、日本人をおかしな人たちと見ている。日本人も同じように、韓国人をおかしな人たちと見ているのである。そんなことに気付いた彼女は、韓国人であるということをひとまず括弧に入れて日本を見つめ直してみようと決意する。

韓国人であることを括弧に

日本人の気持ちになってみるという努力を始めた。具体的には、食事を極力日本人に近付けてみた。唐辛子を基調にした濃い味付けに慣れた韓国人にとって、日本の食べ物は薄味でほとんど食指がうごかない。その日本食に積極的に挑戦するようにした。キムチを意識的に遠ざけた。まず食から韓国人であることを括弧に入れようとしたのである。
次には美意識である。日本人が美しいと思うものを美しいと思うことにした。以前に韓国語を教えていた日本人ビジネスマンから、コーヒーカップの焼物をいただいたことがあった。著名な窯元の焼物だったが、表面がザラザラして暗い色の、いびつな形をした器で、韓国人の美意識から見て、いい物には思えなかった。せっかくいただいたものだけれども、彼女はそれを奥の見えないところに置いておいた。
そのコーヒーカップを奥から取り出してきて、毎日そのカップでコーヒーを飲み始めた。それから、旅行などに出かけるような時には、韓国人の目から見ておかしな形でありながら、本などでよく見かける日本特有の陶磁器を買い集めるようなこともした。こういうことを続けていくうちに、それまで漠然としてしか理解できていなかった日本人の美意識なるものの意味がおぼろげながら見えてくるのである。
当初はアメリカ留学の経由地ほどにしか考えていなかった日本留学であったが、現在彼女は日本定住を決めている。括弧に入れられた韓国人の、その括弧はとっくの昔に外されたはずだ。日本留学を通して、彼女は良き日本を発見し、同時に良き韓国、良き自分を再発見したのだと思う。彼女の生き方が、日韓関係の深い溝を埋める一つの可能性を示唆しているのかもしれない。



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