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向学新聞2021年1月1日号記事より>

日本も世界も共に生きる


酒井教授エッセー 第2回

酒井教授

< 酒井順一郎 略歴 >
総合研究大学院大学文化科学研究科修了、博士(学術)
国際日本文化研究センター共同研究員、東北師範大学赴日本国留学生予備学校、長崎外国語大学を経て、現在、九州産業大学国際文化学部教授
主要著書:『清国人日本留学生の言語文化接触-相互誤解の日中教育文化交流-』(ひつじ書房、2010年)、『改革開放の申し子たち-そこに日本式教育があった-』(冬至書房、2012年)、『日本語を学ぶ中国八路軍-我ガ軍ハ日本下士兵ヲ殺害セズ-』(ひつじ書房、2020年)


台湾球児から学ぶもの 人は変われる、仲間がいる


 今回はエッセー第2回目。戦前1931年に甲子園で準優勝した嘉義農林学校(現在は嘉義大学)野球部の実話に基づく台湾の魏德聖監督の映画について語って頂いた。また台湾のお二人の学生から寄稿を頂いた。李さんは日本文学が好きで、林さんは台日間の外交官を目指している。「台湾」と「日本」を結び、「史実」が「今」に生き「未来」に繋がっている。台湾学生の寄稿・翻訳は、酒井教授の長崎外国語大学時代の教え子の鳥越あいか氏(国際貿易の専門家)にご協力を頂いた。編集部から感謝を申し上げたい。


 日本では、コロナ第三波が襲来、皆様ご用心くださいませ。

 この状況下、家籠りの日々が多くなったことから、ネット配信サービスが好調なようです。何を隠そう、私もこのサービスを愛好しています。何と言ってもたちまち家の中がミニミニシアターに早変わりするのがたまりません。そんな中、我が家では2014年の台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』が大ヒット上映中です。6年前の作品ですが、いい作品は何度観ても、話してもいいものでございます。

 ご存知の通り、この映画は日本統治下の1931年、台湾代表として甲子園大会に初出場し、一大旋風を巻き起こした嘉義農林学校(略称は嘉農)の野球部の実話です。因みに、夏の甲子園大会は満洲と朝鮮が1921年から、台湾は1923年から参加していました。なんとこの映画では甲子園球場を再現するためにわざわざ野球場を造ったとのこと。その結果、台湾で空前の大ヒットとなり、台湾の最大の映画賞である「第51回金馬奨」の観客賞と国際映画批評家連盟賞も受賞しました。

 嘉農は1919年に台湾の農・林業界に貢献できる人材育成を目的に創立されました。1928年に野球部が設立され、1929年に近藤兵太郎(松山商業野球部元監督)が監督に就任してから運命が変わります。近藤は部員に「甲子園に連れていく」と宣言。一度も勝利を味わったことのない部員は当然、半信半疑の状態です。部員は授業と農業実習を受けつつ、近藤の厳しい練習が始まります。礼儀を重んじ、精神力7割、技術力3割という考えで「武士道的精神野球」とデータ重視の野球を徹底して教えます。練習の休憩もありません。外野に打たれたボールを捕球し損ない、倒れるとしばらくそのまま動かない。この倒れている間が休憩というのですから気合が入っております。選手たちは「雷おやじ」と陰口をたたき「マムシに触っても『雷おやじ』にさわるな」と恐れられました。(注1)
(注1)古川勝三『台湾を愛した日本人Ⅱ 「KANO」野球部名監督 近藤兵太郎の生涯』アトラス出版2015年より

KANO ~ 1931 海の向こうの甲子園~

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 実は、私も少年野球をやっており、水分補給禁止の精神野球そのものでした。当時の私は生意気にも「監督、大リーグでは水分補給が科学的であると言っていますよ」と諫言、監督はすかさず一喝、2番セカンドから8番ライト、さらには代走要員(代打よりも出番がないよー!)に降格です。あー、忖度すべきだったのかなぁ。私事で失礼しました。話を戻しましょう。

 近藤は陸上部の俊足選手、テニス部のラケットさばきの名人等、スカウトも積極的に行います。そして、漢人は打撃力があり、原住民は足が速く、日本人は守備に長けていることを見抜き、「三民族混成(中国語字幕では「鶏尾酒=カクテル」)」のチームを築き上げます。当時としては大変珍しいチーム編成でした。

 ただ、見下すようなケチをつける者が出てきます。映画では日本人記者が「野蛮な高砂族は日本語ができるの?ニ、ホ、ン、ゴ、わかる?」と言い放ちます。実は、この映画のキーポイントの一つが日本語なのです。ご存知の通り、台湾総督府は、国語教育(日本語教育ではないのです)を重視しており、山口喜一郎等が行った教授法、所謂「直接法」が、開発され、その他の外地の国語・日本語教育に影響を与えていきます。しかし、1938年4月末の台湾の国語解者は41.9%(文部省『国語対策協議会議事録』1939年)であり決して高いものではありません。嘉農のような中等教育機関は台湾人にとって狭き門であります。入学後は日本語で授業が行われ、日本人学生との交流もある環境です。当然、嘉農の部員は日本語で野球を行っています。日本人記者の発言は、的を射ておらず、アジアの民族に野球ができるのかという差別意識が招いたものといえます。映画の中で近藤は、差別主義者に対して「混成チームのどこがいけんとよ。野球に人種なんて関係ないやんけ!」と熱く主張します。つまり、それぞれの長所を組み合わせれば強力なチームになることができると言いたかったのです。そこには差別も偏見もありません。我々もアフターコロナの新しい時代を築くには、これを肝に銘じたいものです。因みに、劇中の80%が日本語で演じられ、その他にも台湾語、客家語、原住民語が使用されています。俳優陣は、これらの言語を一から学び演じたといいますから、頭が下がります。

 1931年、夏の甲子園台湾地区予選が始まります。 「三民族混成」の嘉農は、初戦、完封でチーム初勝利をします。完封ピッチャーは、客家人の呉明捷投手です。彼は卒業後、早大に進学し、野球部で大活躍、1938年の東京六大学リーグ通算ホームラン数タイ記録となる7本をマーク、その2年前の1936年には、3割3分3厘で首位打者となりました。あの長嶋茂雄が立教時代、1957年の秋のリーグ戦で首位打者となった打率と同じです。しかも、このホームラン7本の記録を破るのが長嶋茂雄であるからにして、もう野球の神様の粋な計らいですね!

 その後、善戦を重ね決勝では強豪の台湾商業と対戦し、見事甲子園出場を決めます。台湾南部にとって、初めての地区予選優勝でした。念願の甲子園の土を踏んだ嘉農チームは、一回戦敗退の下馬評を覆し、初戦、2回戦と大暴れをし、内地の人々を熱狂させます。因みに、近藤がかつて監督をしていた松山商業は、準決勝で愛知県の中京商業に敗れています。

 いよいよ決勝では、中京商業と対戦します。固唾を呑む投手戦が続きます。しかし、連日の連投で呉明捷投手の指から血が流れ、もう限界に近づきます。さすがの近藤も投手を交代させようとします。しかし、呉明捷投手は、それを拒否、最後まで投げると訴えます。ナインもこれに応じ「直球を投げて打たせろ、俺たちが捕る!」と激励します。強力打線を誇る中京商業が放つ打球に対し「いらっしゃいませ」と叫びながら球に食らいつく姿は、涙なしには観ることができません。そこには、自分に甘えていた弱小チームの頃とは全く違う別人であります。人は強くなることができるのだと改めて感じさせますね。そして、異民族同士の若者が共通する夢に向かって、挫折しながらも、力を合わせ、最後まで諦めず努力していく姿は、現在の閉塞した日々の中、どこかに忘れてきた大切なものを思い出させてくれる内容です。我々も、嘉農球児のように、信頼できる仲間と共に、補足し協力しながら強く生きていこうではないですか!

 いよいよ9回表、4点リードされた嘉農の攻撃が始まります。続きは映画をご鑑賞ください。そうそうこの映画をきっかけに、嘉義大学と中京大学は野球部交流をしているそうです。いい話ですね。では、また。


台湾学生からのコメント 台湾と日本 史実が今に生き未来へ

東呉大学社会福祉学部 李律昇さん
 先生の文章を読んでもう一度KANOを見返したような気持ちになりました。
 2020年が過去に見ない激動の一年になると、誰が予想できたでしょうか。コロナウイルスの蔓延によって人と人の物理的な距離が広がっただけではなく、世界中に及ぶ感染者数の爆増によって人々の間には恐怖心が芽生え、不信感、批判が広がったことにより分断されました。
 そんな時代だからこそKANOを観ていると、日本人、漢人、原住民が野球チームを組み、互いに協力し甲子園を目指す姿に、私達に人と人の間に必要なものは一体何なのかを思い出させてくれると思います。
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 老師的敘述好像讓我又重看了KANO一般,而其中鑲嵌的歷史資料不但沒有破壞行文,反而讓電影跟史實交錯的更加緊密。
 我想任誰都沒有辦法料到今年是如此動盪的一年吧?病毒拉開得不只是物理上的距離,更因為確診數字攀升帶來的恐懼使得人們開始互相猜忌、指謫、疏遠。我想在這樣的時代重看KANO,看著這支凝聚了日本人、漢人、原住民所組成的棒球隊打進甲子園的故事,說不定會讓我們再次想起,人與人之間最重要的,到底是什麼樣的東西呢。

国立政治大学大学院日本研究プログラム 林奕辰さん
 映画『KANO』は私自身、もう何度も観ている作品です。魏德聖監督は、本作において『セデック・バレ』(1930年、日本統治時代の台湾で起こった先住民セデック族による抗日蜂起事件である霧社事件を描いた同監督作品)とはまた一線を画した複雑な台日関係を描いています。
 先生も触れていた、劇中で主人公たちが日本人記者から「野蛮」と言われ屈辱を受けたシーンは日本の台湾に対する植民差別的な人種問題を浮き彫りにしています。一方で、八田與一のダム建設によって台湾の灌漑農業は大きく発展を遂げました。これらのシーンから台湾人が日本統治時代に対する印象として、植民地支配による圧力という影の側面もありつつ、統治によって台湾のインフラの礎が築かれたという光の側面もあると考えていることを理解することができると思います。
 本作以外でも、吉田修一原作の台日合作ドラマ『路(2020年)』や、『セデック・バレ(2011年)』、更に『ピース! 時空を越える想い(原題:大稲埕)』など、台日関係を描く作品は全て上述したような光と影の部分が表現されています。そのため、私は一人の台湾人として、さらには日本語を学ぶ者としてこれらの作品を観た際、激動の時代を生きた台湾人の辛酸を感じ、衝撃を受けました。
 劇中で近藤監督が高圧的な指導法でなく、選手たちと同じ目線に立ち、全員に対して平等に扱うように、感染症が流行するこの時代、国籍や人種に囚われず共存してゆくことを胸に刻むべきだと思います。
 コロナウイルス流行後の影響で、人種による区別や差別はだんだんとなくなっていくはずです。植民地時代があったという歴史は事実ですが、変化を経て日本と台湾はアジアの隣国になりました。今後も多くの困難に共に立ち向かえることを願っています。
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 KANO這部電影,本身已經看過了很多次。導演魏德聖透過特有的拍攝手法,分別從賽德克巴萊和KANO兩部電影來敘述台日之間,殖民與被殖民的複雜關係。
 在教授的文章中,提到了電影中最令我印象深刻的一幕,也就是主角一行人在接受日本記者訪問,但卻遭對方以野蠻等字眼羞辱。直接且不加修飾的詞語道破台日間殖民文化的種族問題。另一方面,在KANO之中我們也可以看到八田與一位台灣農業灌溉帶來新的轉機,八田和農民一同在稻田中工作的畫面也使我印象深刻。我想透過台灣人的視角可以了解臺日的關係,從殖民到現在都是一體兩面。伴隨殖民者的壓力統治,但也為台灣帶來基礎建設的種子。
 除了在KANO這部作品之外,從吉田修一的著作「路」、賽德克巴萊、2014的電影「大稻埕」,台日雙邊的文學電影著作都呈現了這樣的場面。因此,從身為一個台灣人(更是身為一個日語學習者)來看這些電影時,那些詞語仍給我衝擊和體會到大時代下台灣人的辛酸。
 如同教授所說,在後疫情時代下,不分種族的核心概念更是我們應當謹記在心的。從KANO這支球隊更凸顯各種族結合其優點的特色。在永瀨正敏飾演的腳色下,他展現的不是一位高高在上的教練,而是身體力行,與球員們一起努力的教練,更將每一位球員視己如出。
 最後,我想就如教授所說,「人は変われる、仲間がいる、諦めず強く生きていこう。」在後疫情的影響之下,應當不分種族的區別,雖然殖民歷史是事實,但在歷經改變下,彼此成為亞洲親近的鄰國,除了疫情,也希望日後能夠一同面對許多困難。

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